【読書レビュー:リーチ先生 原田マハ】- 尊敬する師との出会いが人生を創る

こんにちは。ハピネコ(@happyneconyc)です。

ふらりと立ち寄ったニューヨークの紀伊国屋書店で見つけたのが、発売されたばかりの原田マハの文庫本、「リーチ先生」。

原田マハを初めて読んだのは「楽園のカンヴァス」で、その文体の美しさと、アーティストの作品だけでなく背景となる人生や人柄に迫るストーリーに惹き込まれ、すっかりファンになってしまいました。

そして今回の本は日本にゆかりの深いイギリス人陶芸家、バーナード・リーチ。学生のときにデザイン史で学びましたが、かじった程度の知識。しかし、がぜん興味があったので、$14とお高めですが、迷わず購入しました。

バーナード・リーチは1909年にイギリスから来日し、その後日本で陶芸に出会いますが、文化や言葉の違う国で、何かを成し遂げようと努力する姿勢、考え方、周りへの影響の与え方など、今の私にとって学びとなる部分や耳が痛くなる言葉が多く、原田マハの本の中でも好きな本のひとつになりました。

特に、こんな人たちにオススメの本です。きっと、共感できて背中を押してくれる一冊ではないかと思います。

  • デザインやアート系の仕事をしている人、興味がある人
  • やりたいことがあるけどなかなか踏み出せない人
  • 成し遂げたいゴールがある人
  • 今のままではいけない、何かを変えたいと思っている人

ここでは簡単なあらすじと、私が感銘を受けた内容をご紹介します。

「リーチ先生」あらすじ

1954年、大分の陶芸の街、小鹿田(おんた)で陶工に弟子入りしている高市は、その地を訪れたバーナード・リーチに出会い、リーチのお世話係になった高市は亡き父、亀乃助がリーチの助手だったことを知らされます。

ストーリーは芸術に憧れを抱いていた亀乃助がリーチに出会う1909年に遡り、リーチの助手になった亀之助。リーチはのちに民藝運動の父と呼ばれる柳宗悦や、武者小路実篤、志賀直哉、濱田庄司といった錚々たるメンバーと芸術論を交わす友人となり、亀乃助もそのもとで感化されていきます。

日本で学んだ陶芸技術をイギリスに持ち帰り、発展させるというリーチの夢を叶えるべく共に渡英した亀乃助と濱田。そして日本では関東大震災が起き、遠く離れた亀乃助は今後のことを決断。

時は過ぎて1979年、40代になった高市は、父亀乃助がかつて住んでいたイギリスに降り立ちます。

師との出会いが人生を開いていく

すでに両親が他界していた亀乃助は、働いていた蕎麦屋で高村光太郎(のちの詩人)と出会ったことで、最初の芸術家を目指す扉が開かれます。

そもそもこれがラッキーではあるのですが、光太郎の実家の書生となった亀乃助は、そこに訪ねてきたリーチと出会い、リーチからの一言によって、目の前で固く閉ざされていた芸術への扉が音を立てて開いたような感覚を覚え、助手となることを決断します。

「だから君にも、芸術家になれる素質が十分にある。そして、君にも、きっといつか海を渡る日がくる。」

「リーチ先生」P125

人生の中で、この人に一生ついて行きたい!と思えるような人に出会い、実際にそう思い続けられるのは、ごく稀だと思います。

亀乃助がそう思えたのは、この時点でリーチが芸術家として名声があったからではなく、リーチが立場関係なく亀乃助の夢を尊重し、プラスのビジュアルが浮かぶ言葉を投げたからだと思います。

新しいことを始めるときに、「でもそれはリスクがある」「今のあなたには無理」などといった、できない理由ばかりを並べて夢をブロックする人がいますが、もちろんそんな人たちに自分の人生を捧げてついて行こう、とは到底思えません。

どんな人からでも学ぼうとする姿勢を持つことはもちろん大切ですが、「出来るイメージの言葉」をかけてくれる人は、常にお互いが成長し合える仲間や同志として、手放したく無い存在です。

バッターボックスに立つ打者に「三振するんじゃ無いぞ」というよりも、「ホームラン打ってきていいぞ!」と声を掛ける監督のほうが、確実に打者のモチベーションを上げられるはずです。

話す相手に「言葉から何をイメージさせるか」は、人間関係においてとても大切だと改めて感じました。

日本人特有の謙虚さは時に仇になる

リーチが陶芸に出会う前にエッチング(銅版画)で作品を作っていたリーチが、亀乃助にも作品を作ってみるように勧めたところ、亀乃助はやりたい気持ちがありながらも、自分なんかが、と遠慮して断ったシーン。

君たち日本人は、何につけても相手を思いやり、相手を立てようとする。それは日本人の美徳であるのだと、自分はいつも感激する。
(中略)
もしも君が本気で芸術家になろうと考えているのだったら、まず、自分を卑下することをやめなさい。芸術家とは誇り高き存在だ。お金も家も、なんにもなくても、誇りだけはある。それが芸術家だ。

「リーチ先生」P143

今アメリカに住んでいる自分にとって、この言葉はとても響きました。特に「自分を卑下することをやめなさい」というところ。

日本の文化で育ってしまうと、自分の能力を人より低く見積もったり、自分よりも他の人の意見を立てたりするのが反射的にできてしまったりします。

アメリカでは、謙虚さは自信の無さとして受け取られてしまいます。自信の無い人を魅力的に感じたり、人生を掛けて付いて行こうと思えることは無いでしょう。

自分自身の欲求に正直になり、そのままの自分に誇りを持つこと。亀乃助はまだまだ若い時に、人生において大切なことをリーチから教わり、それにより結果がついてくることを体験できています。

わからないからやる、体験するまでだ

のちに人間国宝になる濱田庄司。留学経験もない濱田は、リーチからイギリスで一緒に工房を開く誘いを受け、二つ返事で承諾しています。ある夜のイギリスでの亀乃助との会話です。

「僕は、リーチに誘われてすぐ、迷うことなく、よし、行ってみようと心に決めた。どうなるかもわからないのに。そんな大胆なことをどうして僕が即決したのか、亀ちゃん、わかるか?」
(中略)
「わからないからだよ」

「リーチ先生」P500

今のように情報があふれていない時代、しかも旅客飛行機がまだ普及していない時代に、海外に出るという決断がどれほど大きなことだったのか、想像ができません。

ニューヨーク移住を完璧にするために、すごく時間をかけてしまった私からすると、濱田のこの発言はものすごい強い精神力の持ち主に聞こえます。
濱田はこのあと続けて言います。

「僕は好奇心が強い。人のやっていないことをやってみたい。知らないことがあるなら、知りたい。体験したことがないなら、するまでだ。ひょっとすると、とんでもないことかもしれない。人が聞けば、何をばかな、と笑うかもしれない。だけど、僕はやってみたい、知りたい気持ちを止められない。笑われたっていい、失敗したっていい。何もせずに悶々と考え込んでいるよりは、よほどいいじゃないか

「リーチ先生」P501

濱田にとっては、未知の世界に飛び込むことよりも、やらなかったことを後で後悔する方が、よっぽど恐ろしいことだったのだと思います。

私も、新しいことを始めたいけどどうしようかな・・・と考える時に、死ぬ時に後悔しないかどうか、を最終的に考えます。でも行動に移すまでにものすごい時間がかかってしまうのをいつも反省。その繰り返しです・・泣

でも濱田の決断するまでの短さは凄い。その速度の差が人生の濃度の差に大きくつながっていくと思います。

師から離れなければ、さらなる成長は無い

リーチの助手になってから15年という月日が過ぎていた亀乃助。日本に帰国する濱田から、痛い一言を言われます。

「君はリーチと自分を一心同体のように感じているんだろう。でも、だからこそ、いつまでもここにいてはいけない。ここにいる限り、君はリーチを頼り続けるだろう。君自身の作陶を、いつまでたっても見出せないだろう。」

「リーチ先生」P536

亀乃助は、芸術家であるリーチの助手で居続けることで、自分らしい作品や世界観を作ることから逃げていたのだと思います。まさにコンフォートゾーンにハマっていた状態です。

著名なデザイナーや建築家の元で働く人たちの間では、時々同じようなことを聞きます。私の知り合いは、「9年も同じ事務所で働いているけど、将来はどう考えているのか」と言われてしまったと。

確かに独立して成功するかどうかわからないし、とても勇気のいることです。でも亀乃助は、翌日にリーチに相談し、そしてこの言葉をもらいました。

「私だっていつまでも君にそばにいてほしい。君に手伝ってもらって、どんどん作品を創っていきたい。でも、それではいけないんだ。君は、君自身の道を、これからは君ひとりで歩んでいかなければならない。そして芸術家として、独り立ちしていかなければならない」

「リーチ先生」P547

「守破離の法則」は、卓越した技術を持ちたい時には、絶対に必要なプロセスですが、亀乃助はすでに「離」の段階まで来ていたのに、なかなか踏み切れずにいました。

でもそれを師であるリーチ自身が、亀乃助がいなくなることで自分が不便になるにも関わらず、思い切り背中を押してくれた。本当に亀乃助の将来を案じてくれていることがわかります。

私が日本にいた時の上司は、私がニューヨークに来てから3年に渡って、「帰ってきて私の元でまた働いてほしい」と言い続けてきました。必要としてくれるのはありがたい話ではありますが、リーチ先生との違いに「あぁ・・・」と感じてしまいました。私の将来を案じていたらこうは言いませんよね・・?

芸術でなくても、どんな分野でも、師やいままでのやり方から離れて、自分のオリジナルを持つこと。特にこれからの時代には、それが重要になると思います。

番外編:亀乃助は実在の人物?

ストーリーを読んでいると、亀乃助の心理描写がとてもリアルなので、実在したかのように思えますが、実は架空の人物。

集英社の刊行インタビューで、原田マハさんが話しています。

参考 『リーチ先生』原田マハ|刊行記念特別インタビュー集英社 WEB文芸

そして、イギリスでリーチの工房を作る際、日本人の松林靏之助という人物が登り窯を建築したそうです。
濱田庄司と共にリーチの工房にいる写真もあり、柳宗悦とも交流があったようなので、もしかしたらこの人が亀乃助のモデルかも?と勝手に推測しています。

参考 松林靏之助とは近現代陶磁器資料データベース

まとめ

20代の終わり頃、一緒に仕事をしていたフォトグラファーさんが面白い人で、筆跡から占いができる人でした。自分の名前を書いて、みてもらったところ、

「20代、30代は上司に恵まれてないね。でも頑張って自分の道を切り開くよ。」

と、当時の上司の前でいわれました(笑)。(フォトグラファーさん、気づいて焦る笑)

でもそれは当たってたんです。
上司と出会った当初は、ずっとついて行きたい!と思えたのですが、自分も経験を積んでいろんな世界を目の当たりにした時に、なりたい人間像からは程遠いことに気づき、目指す場所がなくなってしまった焦燥感がありました。

亀乃助のように、将来なりたい姿を見せてくれる人に出会える、というのは本当にラッキーなことです。それは仕事だけではなく、人生において。

それには、自分で自分のなりたい姿がしっかりイメージできていること、それに向かって少しでも努力していることが前提だよな、ということを改めて気づかせてくれたのでした。

同じく原田マハ著のアート系小説に興味のある方は↓こちらの記事もどうぞ。アート系小説のレビューをまとめましたが、ほぼ原田マハになってしまいました。

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